アンチョビな人生

アンチョビは食べたことがありません。

ブログを始めるときに気をつけたい本音と建前

ブログのいいところって、自分の好きなことを延々と書き続けることができることだと思う。

 

私はこのブログの他にも別ジャンルのブログを持っているけど、そこでは自分を応援してくれる人がたくさんいて嬉しい。

 

自分が書きたいことを書いて、それが人に伝わるっていうのはめちゃくちゃ嬉しい。

 

有名人や地位のある人しか、人に何かを伝えることができなかったけど

 

今じゃ誰もが平等に、世界に自分の考えを発信することができる。

 

しかもそれが他人の心に響いた時、感謝された時、泣きたいくらい嬉しくなる。

 

だからブログは辞められない。

 

でも、何を書いても許されるブログだからといって、あんまりにも開けっぴろげにするのはダメなんじゃなかろうか。

 

炎上商法は好きじゃない

書きたいことを包み隠さず書いたところで、他人に不快感を与えては意味がない。

 

炎上といえばイケダハヤト氏が私は思い浮かぶ。

興味ないからブログをちゃんと読んだことないけど、基本炎上しているイメージ。(違ってたらごめんね)

 

誰にでも自分の考えを伝えることができるけど、他人に不快感を与えたところで自分に何が残るんだろう というのが私の考え。

 

炎上すれば、その分のアクセス数だとか色々稼ぐことはものすごく簡単だし、炎上に便乗して少し有名になることだってできる。

 

でも、炎上した人に その先ってあるんだろうか。

 

いつか飽きられた時、「炎上」しか残らなかったら 人は周りにいない。

 

飽きられないために、常に炎上させ続けるのも大変なはず。

 

常に炎上させている人がマトモになったらそれこそ飽きられてしまう。

 

「炎上」で興味を持たれた場合、「炎上」が消えれば興味は失せる。

 

でも、人として興味を持たれた場合、飽きられることはそうないんじゃないだろうか。

 

「炎上」で例えを持ち出したけど、私自身も開けっぴろげな記事を公開しようとしてしまった。

 

本当に自分が持ってる腹黒い部分をこのブログで公開しようとしたんだけど、思い止まった。

 

「あんな記事読んで、誰が喜ぶんだよ!」って冷静になったんです。

 

書きたいことはたくさん書いていいけど、人に不快感を与えてしまったら読む人もどんどん減ってしまうからね。

 

自分が読み手だったら と考える

 

自分がいろんな人のブログを読む、読み手の立場だったら辛い話や愚痴ばかりな話、自慢話、信憑性が全くない話は次も読もう!とは全く思えない。

 

やっぱり読んでいて「面白い!」と思えるブログに再度足を運ぼうと思う。

 

だから出来るだけこのブログでも意識して書いているし、読み手の立場を出来る限り考えようとおも思ってる。

 

でも、やっぱりブログだからね。

万人に受けることは難しいし、自分を押し殺し過ぎたって面白くもない。

 

たまには素直な記事を書いてもいいけど、少しは建前も取り入れつつ書くことって大事なんだと思う。

 

私にとってブログは、心の拠り所でもある。

人には言えないような部分をさらけ出せる場所でもあるし、人を喜ばせることもこんな私でも出来る。

 

それがブログだから。

やっぱりブログは面白い。

 

もし、これからどんな理由であれブログを始めようと思うなら、本音と建前をきちんと使えるようになった方がいいと思う。

 

そして、こんな私ですら何年も続けていたら読者がつくようになったからすぐに結果を求めずのらりくらりと続けていくのが一番大切です。

 

ブログは、しがらみにとらわれなかったら本当に面白い場所だから。